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ドラッカーの名言

東証一部上場企業様を中心に経営チームの支援をを行っています。


東京ロータリークラブで講演

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事業として成功したそのとき、
理解できない苦境に立つ。
事業が発展しない原因はつねに同じである。
トップマネジメントチームの欠落である。

ピーター・ドラッカー


ドラッカーに学ぶ成功企業とは

 

 

 

経営の父と世界から称されるピーター・ドラッカーは、
誰もが経営を学べるようにした人です。
ドラッカーが確立した経営論は
世界の経営の基礎になっています。

 

ある日、「何のために仕事をしているのか」
という疑問にぶつかり、それはそのまま人生の壁になりました。
ドラッカーはこう言っています。

 

ミッションをもつことは、
激動の世の中はますます重要となる。
世界がどう変わろうとも、
人は、誇りあるものの一員たることを必要とする。
人生と仕事に意味を必要とする。
絆と信条の共有を必要とする。
ピーター・ドラッカー

 

 

経営者の仕事は多岐にわたります。
事業の目的を明確にしなければなりませんし、
事業を進めるためには様々な意思決定を行わないといけません。
予算、人事、組織、その他、
例えば社員の冠婚葬祭、業界の集まり等々、
経営者の仕事は到底で1人でできるものではありません。
どんなにうまくいっている企業であっても、
必ず成長の限界がやってきます。
ドラッカーはこう言っています。

 

事業として成功したそのとき、理解できない苦境に立つ。
事業が発展しない原因はつねに同じである。
トップマネジメントチームの欠落である。
ピーター・ドラッカー

 

会社はある一定のところまで成長すると、
事業が停滞し踊り場を迎えます。
その原因は。経営をチームで行っていないからだと
ドラッカー指摘しています。

 

複数人の協力関係で経営の仕事を
役割分担していないからです。
事業の成長がトップの限界を超えて
成長したにも関わらず、
相変わらずトップ一人で仕切っている。
そこに事業の限界をつくってしまいます。

 

社長1人で事業を見渡せるうちは問題ありませんが、
事業はトップ一人の限界を超えて成長していきます。
事業の成長がトップ一人でマネジメントできる限界を
超えたにもかかわらず、トップ一人で事業を
仕切り続けていけば、トップの限界がそのまま
事業の限界になってしまいます。

 

事業を安定的に成長させていくためには経営チームが必要なのです。
事業を成長させていくためには、トップとある程度対等な立場で、
トップと話ができるような人、そんな人が2人、3人必要です。

 

右腕左腕、あるいは助さん角さんのような人がいない状態で、
事業の全てを1人で見渡し、考え、決定し、指示と命令で
社員や事業を動かそうとしていけば、危険な状況に陥ります。
ドラッカーはそうならないための対策を教えてくれています。
「トップマネジメントチームを前もって構築しておくことである。
」今はたとえ停滞している企業であっても、
過去、成長した時期を見ると必ず経営チームが存在しています。

 

戦後、日本の経済を構築してきた企業の一つであるソニーは、
一番成長した時期を見ると、創業者で代表取締役の井深大さんが開発を、
もう1人の創業者の盛田昭夫さんが販売を担当するという
明確な役割分担で、それぞれが責任を持って仕事を進めていきました。

 

パナソニック、松下電器というとカリスマ的なイメージが強いですが、
高橋荒太郎さんという番頭役が組織内部を全部一手に引き受け、
ゆえに松下幸之助さんは前衛に出ることができました。

 

自動車メーカーの本田技研工業の代表取締役の本田宗一郎さんは
工場で車の開発を行いました。それに対して、
副社長の藤沢武夫さんは本田さんがやらないこと全てを
引き受けていたそうです。2人で一緒に引退し、
引退の挨拶で藤沢さんが「社長は本田だったが経営者は私だった」
と言って会場に笑いが起き、本田さんは「本当にそうだったな」
と言ったという微笑ましいエピソードがあるぐらいです。

 

トヨタも製造を担当していたのは石田退三さんで、
神谷正太郎さんは「とにかく何台でも作れ。
作ったものを全部売りさばく」と販売を担当していました。

 

キヤノンの御手洗毅社長は医師でした。
当時扱っていた映像機器の精度が悪くて
患者の病気を発見できず、
何回も残念な経験をしました。日本中を見渡すと
医療映像の研究をしている組織や団体がどこにもない。
じゃあ自分たちでやろうとキヤノンという会社を立ち上げました。
御手洗さんは「自分は経営の素人だ」と公言して
若手の考えを積極的に取り入れて経営をチームで行いました。

 

森永太一郎さんが東京の赤坂で、日本で初めて洋菓子を作りました。
創業して8年間全く成長しなかったのですが、
松崎半三郎さんと知り合ってチームで経営を
進めるようになって以降、急速に発展していきました。

 

ソフトバンクの孫正義さんも
ワンマンと誤解される1人ですが、
孫さんはビジョンを明確にし、笠井和彦さんが資金繰りを担当し、
明確な役割分担で仕事を進めたそうです。

 

ファーストリテイリング、ユニクロを
展開する柳井正さんもワンマン経営のように見えますが、
柳井さんが考えたことを仕組みとして
作っていたのが澤田貴司さんです。

 

海外の歴史ある企業を見てみると、
ドイツ銀行、かつては世界一だった自動車メーカーの
ゼネラルモータース、また発明王のエジソンが創業者で
アメリカ最大手の電機メーカーゼネラルエレクトリックも
経営はチームで行っていました。

 

さらに、海外の新しい企業に目を向けてみましょう。
スターバックスの創業者ハワード・シュルツは、
創業当時から4人の経営チームを作りました。
当時、イタリアの深煎りのロースト、エスプレッソを主体とした
濃くて苦いコーヒーを提供していきたいと考えていました。
そんななか、経営チームの1人がアーモンドやキャラメルといった
フレーバーを入れたコーヒーを提供したいと提案してきました。
仲間が提案してくれたアイデアを真っ向から否定したら
今後提案してくれなくなると思い否定することは我慢して、

 

こう考えたそうです。
「どこかのお店で、その商品を出してみよう。
売れたらレギュラー商品に加えよう。
売れなかったら、その商品はやめよう」。
ハワード・シュルツはそんなコーヒーが
売れるとは思ってなかったのです。
ところがその商品は大ヒットし、
約束したため、レギュラー商品にしました。
振り返ると、自分が思った通りのスターバックスには
ならなかったが、自分が思った以上の
素晴らしいスターバックスになったのです。

 

ビル・ゲイツはマイクロソフトの創業者です。
ビル・ゲイツがマイクロソフトを一代で
大きくしたように見えますが、ビル・ゲイツがやっていた仕事は
技術面と対外的な活動で、実際にマイクロソフトの経営を
担っていたのは入社30人目の従業員で
後に社長になったスティーブ・バルマーです。

 

アップルも同様で、創業当時スティーブ・ジョブズが
やっていたのは営業で、相棒であるエンジニアだった
ウォズニアックがプログラムと、明確な役割分担で
仕事が行われていました。晩年のスティーブ・ジョブズは
会社のトップでしたが、仕事は商品開発と商品発表だけで、
当時ナンバー2のティム・クックが経営の全般を担っていました。

 

1949年、小郡商事という会社が立ち上がりました。
今のユニクロの前身のまた前身です。
1984年にユニクロが広島で立ち上がり、
柳井会長はずっと1人で経営をしてきたのですが、
安かろう悪かろうというイメージを払拭できずに
1998年に「もう限界だ」と経営チームを作りました。
それ以降、ユニクロは世界的な
メジャーブランドとして一気に成長していきました。

 

外から見るとワンマン経営のように見えますが、
柳井会長はこう言っています。
「1人でできることなんてたかが知れている。
経営というのはチームでやるものだ」。

 

ぜひ経営チームを作って
事業の成長速度を早めていただければと思います。

 

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