私は以前から日本の墨絵をこよなく愛してきた。
日本の絵画やその複写からは、日本の美術の本当の凄さを
とうてい汲み取れるものではないことがわかった。
圧巻だった。見事だった。
ピーター・ドラッカー
日本そのものの美しさ
写真:日本経営協会 日光での記念撮影 1959年
以下、ドラッカーの手紙を紹介したい。
コンサルタントのドラッカーとは違う一面を
お感じになられることと思う。
まさに、詩人ドラッカー、哲人ドラッカーだ。
―ここから―
初めてたずねた不慣れな国で、
三週間の滞在でその国について多くを知ることはできない。
しかし、日本の人々に惚れ込んでしまうには、
十分な期間だった。
今回、日本事務能率協会(現日本経営協会)から
お招きいただき、至れり尽くせりお世話になり、
日本の訪問を終えることができた。
私が日本に持った印象を率直にお伝えするに努め、
二、三、問題点を提起させていただきたい。
日本への理解が至っていない点や誤解について
考慮いただけることを期待したうえで、
お伝えさせていただく。
私は当初、日本にある先入観を抱いたまま日本に到着した。
日本人は、恐ろしいほど生真面目な国民だと思っていた。
また、遠慮がちでなかなか人に打ち解けない国民だと思っていた。
そして、めったに笑うことのない人たちだと思い込んでいた。
日本にそんな先入観があった。そんな思い込みが
日本に対する正しい印象を妨げていた。
しかし、その間違った思い込みは一瞬にしてなくなった。
日本の第一の印象は、人間的な強さ、人間的な美しさ、
人間的な意欲、人間的な風格、人間的な温かみ、
人間的な朗らかさだった。
日本は、笑いの国、朗らかさの国である。
工場現場で働く女子工員の熟練度、
無意識に発揮する力強い作業、仕事に対する熱意、
工場で働く人々の快活な働きぶり、
京都で見た美しい舞妓さんの笑顔、
日光で行き交う多くの旅人、
伊勢神宮での新婚の幸せそうな男女、
高校生の人なつっこい態度、
神仏に祈りを捧げる農民たち、
こういった方々に接する機会を持てたことは、
感動的な記憶として私の胸に刻まれた。
私にとって、とても貴重な体験となった。
その中でも、一番印象に残ったことは、
日本は生活と仕事を楽しんでいるということだった。
日本の第二の印象は、日本の美術だった。
芸術の熟達とその偉大さだった。
私は以前から日本の墨絵をこよなく愛してきた。
日本の絵画やその複写からは、
日本の美術の本当の凄さをとうてい
汲み取れるものではないことがわかった。
圧巻だった。見事だった。
日光の東照宮、京都の桂離宮、
奈良の中宮寺の仏像の気品、
宇治の鳳凰堂の美しさ、伊勢神宮の調和と平穏。
これら文化の極めて高度な複雑さを
簡素に統一した気品に溢れていた。
それらは、細部を全体に統合し、
複雑を簡素に統一し、芸術的熟達と経験の中に、
空間を一つの形ある存在として仕上げる、
その巧みに日本の偉大さを感じた。
日本の第三の印象は、日本そのものの美しさだ。
農地と山林の絶え間ない対照、関西平野を囲む山々の気高さ、
箱根の山中の数知れぬ草花、伊勢の大老木、
これらの自然の美しき対照、平原と丘陵、岩と水、
山と海もさることながら、
特に私の心を打ったのは、日本人の達成した
自然と人工とのまとまりだった。
乱れたところなく整っている田畑の色合い、
いく通りかの緑の色合いの中に浮き出る山々と、
そこにある村々。それらは単なる天然の美しさではなく、
古くから築き上げられてきた人々によって創られた美しさの結晶だ。
続きは「こちら」でお読みになれます。
(『日本に来たドラッカー 初来日編』第7話より)
詳しくは、こちら でお読みになれます
日本に来たドラッカー 初来日編 (山下 淳一郎)
この世にあって何がしかの責任を担う者であるならば、
ドラッカーとは、いま読むべきものである。明日読むべきものである。
10年後、50年後、100年後にも読むべきものである。
ジム・コリンズ
もっとドラッカーを知りたい社長様へ
基本と原則に反する者は例外なく破綻する。
ピーター・ドラッカー
今以上に事業を伸ばしていくためには基本と原則は不可欠です。
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