【人材育成編】ドラッカーが教える最強の経営チームのつくり方講座
著書『新版 ドラッカーが教える最強の経営チームのつくり方』(同友館)より
満員御礼のためお申込みを締め切りました
このような社長様におすすめです
□経営チームをどうやってつくればよいのか分からず困っている社長の方
□いまの経営チームが機能していないと感じている社長の方
□そろそろ社長にすべてを任せたいと思っている会長の方
□事業承継を考えているが、幹部候補者の選出、役割分担に悩んでいる社長の方
経営を任せようと思っている経営幹部に不安がある社長の方
伸びる企業と伸び悩む企業の違い
ドラッカーは、『現代の経営』でこんな事例を紹介しています。
「企業の経営の良し悪しを判断する目安を探せ――」
これは、ある銀行が融資の調査部門に出した課題で、
「成長する企業と成長しない企業の違いを見つけ出せ」
というものです。
銀行は融資をするかしないかを決めるために、
その企業がこれから伸びるかどうかを見極めなければなりません。
それは銀行にとって重要な課題であると同時に難しい課題でもありました。
なぜなら、利益があがっているからといって
良い経営を行っているとは限らないからです。
たとえば、新しい商品やサービスの開発に投資をしていなかったり、
優れた人材の採用や人材の育成を行っていなかったり、
人員の数を減らしたりして、出ていくお金を抑えることで
利益を出している状態かもしれないからです。
これは、将来に向けて必要な投資を渋って会社に損害を与えています。
たとえ黒字であったとしても、今日の黒字が明日の赤字を生むような経営は
けっして良いとは言えません。反対に、今は利益をあげていなくても、
長期にわたって取り組んできた新しい商品やサービスの開発が実り、
大きな成果を得る直前かもしれません。
このように、利益があがっているからといって
必ずしも良い経営とは言えませんし、
利益があがっていないからといって悪い経営とも言い切れません。
収支の数字だけでは経営の良し悪しを一概に判断できないのです。
まさに、経営の良し悪しを判断する目安を見つけ出すことは難題でした。
この調査部は、膨大な数の企業を調べた結果、
一つの目安を発見しました。
それは誰もが予想しないものであり、
またどんな経営の本にも書かれていないものでした。
事実、この発見によって、この銀行の融資の成績は
目に見えて良くなっていきました。
それは、調査によって見つけた目安を基準に、
融資するかしないかの判断を行った結果でした。
調査部が見つけた目安とはどのようなものだったのでしょうか?
著書『新版 ドラッカーが教える最強の経営チームのつくり方』より
すべて事例でお伝えします
たとえば、アップルの創業者の一人であったスティーブ・ジョブズは
一見、強力なワンマン経営者に見えます。しかし、晩年のジョブズが担っていた仕事は、
新しい商品を生み出すこととその新作商品の発表だけでした。
その他の仕事は当時ナンバー2であったティム・クックが担っていました。
経営がチームで進められていたのです。
また、マイクロソフトのビル・ゲイツは、
技術面と対外活動だけを担当していました。
経営全般を見ていたのは、マイクロソフトに入社した人目の従業員で
後に社長になったスティーブ・バルマーでした。
バルマーは、技術者であるビル・ゲイツにとっての
経営アドバイザーという役割を果たし、
マイクロソフトを大企業に仕立て上げた立役者です。
そして、急成長したスターバックス・コーヒーも創業当初から
経営をチームで進めています。「起業家の発想で組織運営はできない」
という考えをCEOのハワード・シュルツに叩き込んだのは、
経営チームのメンバー、オーリン・スミスです。
起業と経営はまったく違います。「起業とは事業を起こすこと」で、
「経営は組織を運営すること」です。組織を運営するためには、
大きな仕事を小さな業務に細分し、業務の手順を考え、方法を勘案し、
組織をつくり、細々としたルールを決めていかなければなりません。
それらの仕事は、起業家タイプの人間にとって、退屈な仕事でしかありません。
「起業家の自分は組織運営を確立する知識はない。組織運営のスキルもない。
組織運営を学ぶ気もない」。そう自覚していたCEOのシュルツは、
経営チームのメンバーであるスミスに組織運営のすべてを任せて、
スターバックスを成長させていきました。海外で成功している企業の
最近のやり方を薦めているかのような誤解を招かないために、
あえて、日本の歴史ある企業の事例をいくつかお伝えします。
松下幸之助氏は、1918年に松下電気器具製作所を創業し、
1929年に松下電器製作所と改称、
1935年に松下電器産業株式会社(現パナソニック)として法人化しました。
松下氏は体が弱かったため、みんなで経営してもらおうと、
1933年に日本で初めて事業部制を始めました。事業部制とは、たとえばテレビ、
カメラ、パソコン、オーディオというように製品ごとに組織を分けて
事業を運営する形態のことです。松下氏は、事業部ごとに権限と責任を与え、
チームで経営が進められる形をつくり、右腕と言われた高橋荒太郎氏に
経営改革をすべて任せていました。
キヤノンは、1933年に精機光学工業株式会社として
設立されました。当時、社長に就任したのは御手洗毅氏でした。
御手洗氏は社長就任後、社員に対して、
「自分は医師出身だ。経営のことはよくわからない。
ぼくを騙そうと思えば簡単にできる。
しかし、ぼくは君たちを信用する以外にない。
この会社を繁栄させていこうと思えば、
みんなが誠心誠意やる以外ないではないか」と言い、
若手の社員に責任を与えながら、
若手とともに経営を進めていきました。
ソニーは、1946年に井深大氏と盛田昭夫氏の2人の創業者によって、
東京通信工業株式会社として設立されました。
井深氏は開発を、盛田氏は販売を担当し、
それぞれが自分の役割を果たし、
ソニーブランドを世界に普及させていきました。
1948年に設立された立石電機(現オムロン)は、まだ中小企業だった当時、
「常務会」という名の経営チームをつくりました。常務会のリーダーは
常務が務めていました。それまではトップである社長が
すべての決定を下してきたものを常務会のメンバーに考えさせ、
常務会のメンバーで協議し、最終的に常務が決定を下すというやり方に
変えていったのです。
ホンダは、1948年、本田宗一郎氏と藤沢武夫氏の2人の創業者によって
設立されました。本田氏は技術を担当し、藤沢氏は経営のすべてを担っていました。
本田氏と藤沢氏が経営の第一線を退いたとき、藤沢氏がある講演で、
「社長は本田だったが経営者は私だった」と話して大きな笑いをとり、
あとでそれを聞いた本田氏は「その通りだ」
とうなずいたという話はあまりにも有名です。
セコムは、飯田亮氏と戸田壽一氏による経営チームによって経営を進めていました。
創業期は飯田氏と戸田氏ともに靴底を減らしながら飛び込み営業に奔走しました。
飯田氏は会社の顔で戸田氏は黒子というだけで、ソニーの井深氏と盛田氏、
ホンダの本田氏と藤沢氏のように明確に役割分担していたわけではなく、
その時々の状況に応じて、役割を決めて経営を進めていきました。
ファーストリテイリングの柳井正氏も
「社長がどんなに張り切っても一人でできることはたかが知れている。
経営はチームでやるものだ」と言い、経営をチームで進めています。
たとえ、今は停滞している企業であっても、
成長した時期は必ず経営をチームで進めています。
おわかりいただけたとおり、昔の話、最近の話ということではなく、
また、海外企業の話、日本企業の話ということでもなく、
成功している企業は、経営をチームで進めてきているのです。
著書『新版 ドラッカーが教える最強の経営チームのつくり方』より
能力を揃えても成果は上らない
大事なことは、「経営チームがあるかないか」ではなく、
「経営チームがチームとして機能しているかどうか」です。
ドラッカーはこう言っています。
組織が仕事をするにはチームにならなければならない。
トップが優秀であってスタッフが献身的であるにもかかわらず、
チームをつくれないために失敗する組織は多い。優れたリーダーといえども、
部下を助手として使っていたのではたいしたことはできない。
組織は、一人の人間ができることを簡単に超えて成長する。
しかもチームは、自動的に育つものではない。
ピーター・ドラッカー
では、どのようにして経営チームを構築すればいいのか。
それを
「ドラッカーが教える最強の経営チームのつくり方講座」
でお伝えいたします。
プログラム
1.ドラッカーが教える、事業が成長しない理由
(1)確立した事業が成功したときに陥る苦境
(2)強みの結合が事業を伸ばす
(3)トップが押さえておくべき2つのこと
2.ドラッカーが教える、成功している企業がやっていること
(1)国内外の歴史ある企業の経営の進め方事例
(2)国内外の新しい企業の経営の進め方事例
(3)弱みを意味のないものにしている
3.経営チームを機能させるために明日から行う6つのこと
(1)CEOは、幹部役員に何をお願いすればいいのか?
(2)経営チームはどのように役割分担すればいいのか?
(3)経営チームが守るべき6つのこと
講師
ドラッカー専門のコンサルタント 山下 淳一郎
コンサルティングファーム出身、上場企業役員を経て、トップマネジメント株式会社を設立。上場企業を始めとして、様々な業種・規模の経営チームにドラッカーの理論を活用するコンサルティングを提供している。一般社団法人日本経営協会専任講師、淑徳大学の経営学講師、デジタルハリウッド大学院大学客員教授、ダイヤモンドビジネスタレント派遣講師を務める。寄稿に『人材育成の教科書』(ダイヤモンド社)『企業と人材』『経済界』『人事マネジメント』等
- 1987年 ピータードラッカー教授のマネジメントを学ぶ
- 1998年 独国 Ettlingen Bundesrepublik Deutschland.
- 1999年 米国 Minneapolis United States of America.
- 2002年 中小企業 取締役就任
- 2007年 上場企業 執行役員兼グループ会社取締役就任
- 2008年 トップマネジメント株式会社 代表取締役就任
世界最先端シリコンバレーでの体験記
コンサルタント業は「知識の学習」ではなく「現場の研究」です。現場とは企業の中で、そして企業の外で起こっている現実です。企業の中に入り、現場の声に耳を傾けてこそ、その現実の中から実際に役立つものを見つけ出すことができるという想いで取り組んでいます。
- 2008年 『創業4年目のフェイスブックもそうだった』(>詳しく見る)
- 2011年 『ドラッカー先生のご自宅』
- 2016年 『グーグル行ってきました』(>詳しく見る)
- 2016年 『アップル本社行ってきました』(>詳しく見る)
- 2017年 『スタンフォード大学』
- 2017年 『ジョブスの家に行ってきました』(>詳しく見る)
著書
ドラッカー5つの質問 | 山下淳一郎
会社を永続的に成長させていくためにどうすればいいのか―。成功とは挑戦の結果であって、幸運の結果ではない。成功を収めている企業とそうでない企業の違いはどこにあるのだろうか。ドラッカーはこう言っている。「成功を収めている企業は、『われわれの事業は何か』を問い、その問いに対する答えを考え、明確にすることによって成功がもたらされている」「われわれの事業は何か」を問うとは、わが社の事業はどうあるべきかを徹底的に考え抜き、わが社のあるべき姿を明らかにする、ということだ。経営者のそんな仕事の助けとなってくれるのが、「ドラッカー5つの質問」である。
新版 ドラッカーが教える最強の経営チームのつくり方 | 山下淳一郎
経営に関するセミナーや勉強会が全国各地で行われています。それらはすべて「社長一人でがんばることを後押しする内容」であり、社長を失敗する方向へ追い込んでいくものです。ドラッカーはこう言っています。CEOの仕事は、一人の仕事として組み立てることは不可能だということである。それは、共同して行動する数人からなるチームの仕事として組み立てる必要がある。
ドラッカーが教える最強の経営チームのつくり方 | 山下淳一郎
ドラッカーはこう言っています。「その範囲、必要とされているスキルと気質、仕事の種類において、トップマネジメントの仕事は一個人の能力を超える。経営書や組織論が何といおうとも、優れた経営を行っている企業にワンマンはいない。それらの企業はCEOのチームをもつ。」本書は「経営学の本」ではなく「経営者の本」です。学説ではなく現実を描いています。本書の内容は「現実を変えるためのもの」です。この本に書かれていることを実践すると、御社のお客様はさらに増え、長期にわたって繁栄していくことが可能になります。
日本に来たドラッカー 初来日編 | 山下淳一郎
本書は実話である。「売上のための経営」ではなく「人間のための経営を打ち立てた人物」を描いている。経営を創始し、経営を体系化したピーター・ドラッカーだ。どんなに時代が変わっても、人間にとって大切なことは変わらない。ドラッカーは、そんな大切なことを教え導いてくれる。『ビジョナリ―・カンパニー』の著者、ジム・コリンズはこう語る。この世にあって何がしかの責任を担う者であるならば、ドラッカーとは、いま読むべきものである。明日読むべきものである。10年後、50年後、100年後にも読むべきものである。
過去に行なった主なドラッカー講座